人の気持ちがわからないと言われて恋人/妻/夫から別れを告げられた人は感動力を育てて復縁を目指そう

映画やドラマを見て感動したら、必ずその感動の生き方を実行してください。
これは私の言葉で言うと「知識を実行する」という事です。
本・テキストで何かに関して一生懸命勉強して知識を得たとしても、その知識を実行しなければ知っているとは言えません。
手に入れたその知識を使って生きるということ、その知識を実際に役立たせるということ、
それが知識を実行するという事の意味です。
「論語読みの論語知らず」という言葉がある通りです。
 
ただ本を読んでいるだけの人、ただ知識だけはたくさんある人、ただ様々な資格試験に合格することが趣味なだけな人、
 
そんな人は大昔から「論語読みの論語知らず」「書の蟲」と馬鹿にされてきました。
 

感動する練習をすれば自然に人の気持ちもわかるようになり復縁に近づく

人の気持ちを知るにはまず自分が感動できる人になること
人の気持ちを知るにはまず自分が感動できる人になること
恋人から振られてしまってなかなか復縁できない人は、
①そもそも本を読み、映画やドラマを見る文化が自分の中に根付いていない。
②それなりに本は読むが、知識が頭に入っているだけで知識を実行していない。
③それなりに映画は見るが、知識が頭に入っているだけでその感動する生き方を生きていない。
このような傾向が非常に強いです。
 
本を読んで知識を得てもその知識を実生活で実行しない人を「書の蟲」と呼ぶなら、
映画やドラマを見てもなかなか感動できない人や、感動を自分の生き方に反映させない人は「モニターの静電気」「液晶の静電気」とでも呼びましょう。
 
復縁を目指すなら、書の蟲、液晶の静電気であってはいけないんです。
 
特に映画を見て深く感動したら、その感動的な生き方を自分も真似ましょう。
恥ずかしいほどにバカみたいに、その感動的な生き方を自分を真似てください。
それができない人は「共感できない人」です。
 
素直に感動できない人や、その感動的の生き方を恥ずかしいほどに真似できない人達は、
ほぼそのまま「共感できない人」です。
 
だから大切な相手から
「あなたは人の気持ちがわからないのね」
「お前は俺の気持ちを考えたことがあるのか」
「私はどんな気持ちでこれをやったかわかる?」
「俺はどんな気持ちで今まで頑張ってきたさわかるか?」
などと言われて、別れを告げられてしまうわけです。
感動できる人は、人の気持ちもわかります。
 
男女関係を長続きさせるのに、とても大切な事は感動です。
感動の共有です。
 
例えば、恋人同士や夫婦同士で、
同じ芸人の漫才を見て同じように大爆笑できる、
そのような恋人同士、夫婦同士は、もちろん長続きする可能性はアップします。
 
ではその大爆笑の根本は何かと考えると、結局感動する心なんですね。
感動する心があれば大爆笑できます。面白いなぁ!というのも感動だからです。
 
でも、世の中には大爆笑ができるのに大号泣できないという人が大変多いです。
これは日本人の特徴です。
 
日本人は大爆笑はしても大号泣はしない民族なのです。
お葬式でもなるべく泣かないように頑張るのが日本人です。
他の国ではお葬式等になったら他の人に率先して泣くことを仕事としてやる「泣き女」という習慣が残っていることもあります。
 
日本でもこの泣き女という仕事は明治維新前までは民間で残っていたと言われています。
 
しかし明治維新の後は、日本の隅々まで武士道が広がりました。
日本の国民全員に武士的な価値観を広めて、そこから徴兵して強い軍隊を作り、富国強兵をしなければいけなかったからです。
 
武士階級の感覚としては、悲しい時に大声を上げて泣くというのは情けないこととされていましたから、明治維新以降、武士道が武士だけのものではなく国民全体のものになっていくに従って、日本の泣き女も消えていったのでしょう。
 
ですから日本人は泣くのが得意ではありません。
お葬式でも「泣いたらだめ」とさえ思っています。
 
恋人や配偶者から「君は人の気持ちがわからない」「あなたは共感してくれない」などと言われてふられた皆さんはおそらく、
「お葬式でも我慢して泣かないタイプ」でしょう。
しかしそれでは復縁できないのです。恋人と長続きしません。
お葬式でも泣かないのが立派とされていたのは昭和の時代までです。
 
この令和の時代においては、感動して大爆笑することも感動して大号泣することも、男女関係を円滑に進めるためには必要なことなのです。
 
話を戻しますけれども、パートナーと一緒に大爆笑できる人はきっとパートナーと一緒に大号泣もできる人です。
感動する気持ちがなければ大爆笑もできないからです。
大爆笑ができるという事は感動する気持ちはあるということです。
 
ですから心のリミッターを解除して、自分の心の中にある感動する力を「泣く」という方向にも解放していってください。
 
そうするとあなたの「制限された感動する力」が解放されます。
100%純粋に感動すべき時に感動することができる人になれます。
悲しい時は泣いたらだめと思っているから、感動する力が100%発揮できないんです。
 
ゆえに恋人やパートナーから、あなたは人の気持ちがわからないと言われてふられたわけですね。
 
本当は感動する力はあなたの中にはまだ残っているのですから、笑う方向にも泣く方向にも思う存分その感動する力を解放していきましょう。
 

本や映画で感動したらその生き方を真似する事で恋愛が長続きする

人の気持ちがわからない人は映画の主人公の生き方を真似しよう
人の気持ちがわからない人は映画の主人公の生き方を真似しよう
例えば数年前に鬼滅の刃が流行りましたけれども、私はそういうものを見ますと感動します。
そして感動したら、その感動に即した生き方を自然にしてしまいます。
簡単に言うと「感化されやすい」のです。
 
しかし多くの人はどうやらあまり感化されにくい様です。
私はたくさんの相談を受けますし、Twitterなどで悩んでいる人のツイートを見たりします。
例えば小学生の子供がいるお父さんお母さんが夫婦関係や家族関係、育児のことで悩んだりしているわけですが、小学生の子供がいれば鬼滅の刃は一緒に見ているはずです。
 
にもかかわらず、皆さん実に瑣末なことで悩んでいます。
「炭治郎だったらそこで悩むかな?」
「煉獄さんだったらそんな時どうするの?」
「鬼滅の刃見たよね!?見たのになぜそこで悩む!?」
と思う事が本当に多いです。
 
多くの人は、映画やドラマを見て、あるいは本を読んで感動したり考えたりしても、
どうやらそれを自分の人生に反映させていないようなのです。
 
それでは、人生苦しいことが続くのは当然です。変わっていないからです。
真似しないから変わらないんです。
 
私が今から4、5年前に劇団四季のライオンキングを見た後もしばらく私はシンバの父親ムファサのつもりで、小さな私の娘を抱き上げて、「お前の中に生きている」を何度も熱唱しておりました。
 
そのライオンキングの歌の中で、私が最も感動したのは、
「お前こそ王となる
父も、祖父も
お前の中に生きている
水に映るそのお前を
見つめてる」
という言葉です。
 
下記の動画はその部分を歌っている私の動画です。奇跡的にまだ残っていたのでせっかくですからシェアします。本気でムファサになったつもりなのが伝わると思います笑
この歌詞は死んでしまったムファサ(父親ライオン)の言葉の部分なのですが、
この歌が流れる時に劇中ではシンバ(息子ライオン)が池を覗き込みます。
その時に水面に映るのはもちろん自分の顔です。
 
水に映っているのは自分の顔なのですが、水に映っているその自分の顔はそのまま父と祖父の顔でもあるのです。
 
お前の顔を自分で見てみれば、そこに父と祖父の面影・遺伝的特徴があることにも気づくだろう。
すなわちお前は決して1人で生きているのではない。
命の脈絡の中で、その命を今の世代において預かる者として生きているのである。
お前は命の使い手ではなく、命の預かり手である。その重責を感じろ。
命の使い手の責任は軽い。命の預かり手の責任は重いのだ。
そしてその預かった命を次の世代に、父や祖父と同じように受け継がせていかねばならぬ。
 
そしてお前は1人ではない。お前の中には同時に、父も祖父も生きているのである。
お前は父であり、お前は祖父である。
父はお前だったのであり、祖父はお前だったのだ。
くじけそうになったときにはそれを思い起こすと良い。父も祖父も常に共に生きていることを(すなわちお前の行動こそが父と祖父の象徴であるということを)、この限りないサバンナの大地とこの限りないサバンナの星空の下で思い起こすことができるだろう。
 
そういう意味がこの短い歌詞に込められているわけですね。
私は大変に感動してしばらくムファサの真似をしていました。
 
そして今は私はムファサになっています。ムファサ化完了です。もはやくじける事はありません。
 
①感動する
②真似る
③同一化する
映画見たら必ずこの順番を意識して下さい。
 
そうしているからこそ私は悩むことがありません。
映画の中で戦って死んでいった幾多の男たち女たちの生き様が、私の双肩には重くのしかかっているからです。
私は彼らを自分自身に憑依させ、その生き方を真似ているだけです
それだけでもかなり人の気持ちがわるようになります。
 
そして憑依させるには、感動しなければいけません。
 
私はあまり幽霊は信じませんけれども、
例えば交通事故があった心霊スポット等で、亡くなってしまった人をかわいそうだと思って無関係なのに線香をあげたり、同情したり共感して手を合わせたりすると、その亡くなった相手の霊がついてきてしまう、憑依してしまうとよく言われています。
 
それが本当かどうかは分かりませんが、
少なくとも映画や本を見て感動すること関しては、それは本当です。
 
感動こそが、憑依の始まりです。
 
私はムファサであり、炭治郎であり、メリー、ポピンズのミスターバンクスであり、モアナでありながらモアナの父親でもあり、かつてはグリザベラであって、同時にエルサそのものなのです。
 
このような映画の見方をしていると悩むことがないのに、皆さん映画やドラマを漫然となんとなく見ているから、素晴らしい映画やドラマの立派な男たち女たちを見ているのにもかかわらず、人生に悩み、失恋し、離婚になるのです。
 

生まれながら共感や感動が苦手な性格の人でも…

人の気持ちがわからない人でも大丈夫。人の気持ちは勉強できる
人の気持ちがわからない人でも大丈夫。人の気持ちは勉強できる
他の人の立場や何かしらの状況に感情移入するのがそもそもとして苦手な性格である人もいます。
 
このような傾向は生まれながらの気質なのですぐには変えることができませんが、少しでも慣れさせていくことは可能です。
 
私も復縁コンシェルジュを始めた頃は、ストーカーで逮捕される人たちに対して何の感情移入も出来ませんでしたし、「ばかだなぁ」としか思いませんでした。
 
しかし「その人たちには救いあげてくれる人がいなかったんだなぁ」「親から恋愛はどういうものかということを教えてもらえなかったんだなぁ」と無理矢理思い続けることによって、現在はかなり感情移入ができるようになり、普通にかわいそうだなぁと感じることができるようになっています。
 
ストーカーで逮捕されていく人たちに対して少しも感情輸入できなかった私が変わったのですから、あなたも「こういう時にはこういう感動があるのか」という事を知り、感動すべき場面はこういう部分だということに慣れていくことによって、今までよりも感動に敏感な自分になることは可能です!
 
そうしていくと、元恋人や妻や夫と話をするときにも、相手の気持ちに寄り添うような発言もできるようになりますから、少しずつ無理矢理にでも感動をしていきましょう。
 
そしてその感動する生き方にとってもう一つ重要な事は、
本、映画やドラマを見たら、
感想や教訓、自分自身と照らし合わせて気づいたことなどをしっかり書き留めておくということです。
 
書かないとほとんど忘れてしまいます。
この作業を私はかなり頻繁にやっています。
その上で、実はそれをYouTubeの動画にしているのです。
書き留めて、さらに動画で話しているので、映画やドラマなどから得られる生々しい人間模様の教訓が身に付いている自負があります。
学んだことは書かなければ定着しません。
仕事でも、考えてみれば学んだことをいろいろとパソコンで書いていますよね。
報告書、企画書、日報、指示書、などなど学んだことを実は書いているので定着するわけです。
ですからぜひ映画やドラマなどを見てその教訓を書き留める習慣を身に付けていただければと思います。
 
本だったら本の中のページの余白にそのまま書き込んでしまって構いません。
もちろんノートを買ってもいいですけれども、私としては本の中に直接書き込むことをおすすめします。
 
リアルな話ですが、勉強的な意味で頭のいい人は教科書の中に書き込んでしまう事が多いです。
私も若い頃は少しは勉強ができましたが、黒板に書いていることをそのままきれいに書き写す同級生はあまり成績が良くなかった気がします。
 
実際に東大生のノートの取り方、などのキーワードでインターネットを検索すると同じようなことが書いてあります。
 
ですから、本を読んで感動した事や発見した事は、その本に書き込んでしまった方がいいです。
本は汚されて輝くもの。
きれいな本は読まれていない本です。
 
傷のついていない工具は素人の工具です。
プロの工具はたくさんの傷がついていて、なおかつきっちり磨かれて調整されているものです。
 
本に関してはそのようなスタンスでしっかりと熟読していただいて、映画に関してはその感動部分を忘れないうちにノートなどにメモしておいて、それをよく考えてわかりやすい目標にして紙に書いて壁に貼るなどしておくと良いでしょう。
 
映画の中の主題歌に関してもYouTubeなどで音楽を検索して練習してカラオケで歌えるようになりましょう!
 
人生を自分自身の手で楽しくしていきましょう。そうすれば必ず復縁も近づいてきます。

 


※このブログを書いた人
復縁コンシェルジュ
復縁コンシェルジュ

平成18年から探偵業界に入りありとあらゆる男女トラブル解決を経験する。YouTubeで復縁工作の情報発信を始めた初の探偵会社でYouTube復縁界隈では最古参。プロフィールページにさらに詳しく私の略歴を記載しています。